最終的に愛

好きなものを徒然なるままに

アイドルは恋愛をしてはいけないのか

アイドルは恋愛をしてはいけないのか。

これはアイドルとファンの永遠に解けない難題だと思う。

 

 

 

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私は根っからのアイドルオタクだ。自分は普通に恋愛だってするくせに、アイドルには恋愛をしてほしくない。彼らはステージに立ち、キラキラした姿を見せてくれる。そこに恋愛の影なんてものは存在してほしくない。別に付き合いたいわけでも、付き合えると思っているわけでもない。でも、恋愛をしてほしくないのだ。いつまでも偶像としてそこにいてほしいのだ。誰かのものでなってほしくないのだ。

 

では、実際の恋愛ではなく「恋愛リアリティーショー」にアイドルが出るとしたらどうだろう。きっとそこにはいくばくかの台本があって、全て純粋な恋愛ではない。私はそういう台本も含め、恋愛リアリティーショーが好きで楽しんでみていた。でも推しが出るとしたらどうだろう。事務所公認のお仕事の中で推しが「恋愛」をするのだ。付き合いたくて応援しているわけではない。でも、推しが自分と比べるのも愚かであるほど、かわいいかわいい女の子たちと恋愛する様子を見ることになるのだ。しんどい以外の何物でもない。

  

推しにはいつも幸せでいてほしいし、推しの活躍を願っている。ファンが増えて寂しいという気持ちはあるけれど、推しには誰よりも大きなステージで輝いてほしいと願うタイプのオタクだ。だから、今回のこの仕事もきっとすごく考えて出して決めた答えなんだと思う。こんなに大きな個人仕事の発表ブログで謝らせてごめん。オタクが評論家になってはいけないというツイートを先日見かけたが本当にその通りだと思う。文句を言うなら、降りればいい。オタクは義務ではないのだから。彼の新しいお仕事が受け入れられないなら、見なければいい。

 

でも、そんなわけにはいかないんだよな。

 

アイドルは恋愛してもいいと思う。でも、それを私は知りたくない。知らないところで、見えないところでやってくれと思う。だからこんな形で推しが恋愛して、売れる様子を見たくないのが本音だ。ごめんね。

 

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なんて、公式発表の前に公開されたサムネを見て覚悟を決め、公式発表後のブログ、TLを見てしたためたブログ。全て終わった今、私が思うアイドルと恋愛、そして、この恋愛リアリティーショーについて思うことを記す。(ネタバレ含みます)

 

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出てほしくないという気持ちを抱えつつ、愚かなオタクにはなりたくなかったので、本人が見るブログへのコメントはおろか、Twitterでの発言も極力控え、鍵をかけた。初回放送こそ、しんどい気持ちになったものの、回を重ねるにつれ、どんどん応援したい気持ちが芽生えた。

そして迎えた中間告白。からの月LINE。私に見えた範囲だけでも、心ないコメントが沢山あった。オタクが傷つけてごめん、と思った。一番に応援するべきだった。グループ活動のことが頭をよぎって、理想の自分でいたいと雁字搦めになる彼はあまりにも幼くて、いくら外見が大人びていても、中身はちゃんと16歳だった。

一度素直になった彼は本当に可愛くて、「恋愛してほしくない」なんて何をバカなことを言っていたんだろう、こんな姿を見せてくれてありがとう、そんな気持ちでいっぱいだった。いつもに増して波乱が起きる展開の中、この2人だけは騙すことも騙されることもなく、最終回を迎えることができるだろう、なんて安心して見ていた。

 

だから、最終回を迎えて2日経った今でも、私はあの結末を引きずっている。巷では大人の事情だなんて言われているけど、それは成立した2人にあまりにも失礼な発言だと思う。でも、そう思いたくなってしまう気持ちもわかる。少なくとも映像の中の2人は本当に好き合っているように見えたから。

 

このお仕事で増えたファンと減ったファン、どちらが多いのかわからない。けど、インスタグラムのフォロワーがグループ公式を大きく上回り、ソロ写真集を出せたのは(出すことになったのは)きっと、今後の彼のためになったんだろう。

 

アイドルが恋愛をしてはいけないのか、この難題について結局答えは出せなかったけど、たぶん推しの熱愛が発覚したら、私は散々文句を言いつつ、最後には「幸せになってね」なんて盲目オタクでいるんだと思う。そうでありたい。そんなことを推しが恋愛リアリティーショーに出演することで学ぶことができました、とさ。

げんじぶワンマン覚書

4/2に開催された、原因は自分にある。の初ワンマン2部に幸運にも入ることができたので覚書。

 

ー以下、ネタバレ含みますー

 

 

 

 

 

 

 

始まる前のアナウンス。暗くなる会場。次々に灯るペンライト。コロナ禍でなくなってしまっていた日々が、ようやく戻ってくる予感がした。

始まりの映像と音楽は、いつものovertuneと違って。薄白の幕の後ろにあらわれた7人を見たとき、「やっとこの日がきた」と泣きたくなった。

仮想case3の嘘始のトランシーバーの演出が好きだったから、7人でやってくれて本当に嬉しくて。仮面で半分顔が見えなかったのは、ちょっと残念だったけど、もしかしてバトストのあの仮面をイメージしていたのかな、なんて後になって思ったり。

げんじぶとしこよろのふりを初めて一緒にできたのは、何度も見たライブ映像そのもので、ずっと夢見てた景色だった。

と、ここまで怒涛の勢いで畳み掛けてきたと思ったら、いきなり知らないフレーズから始まって、新曲だ!と連番していた友達と顔見合わせた。知らない曲=新曲だって咄嗟に判断して、身構えるの楽しいよね。現場で新曲初披露の流れ大好きだから。

スノウダンスと時速3kmの儚さは異常だった。凌大さんのコンテンポラリーダンスのような、しなやかな動きが好き。音楽を全身で表現している様が好き。時速3kmは、歌詞を噛み締めて聞いた。いつか夢の舞台、東京ドームで「やっと来れたね」って泣きながら聞くよ。

夢に唄えばとインザヌでおしゃれ&セクシーな雰囲気でせめてきたかと思ったら、念願の、念願のネバーエンドロール。インザヌの「下唇でも噛んでみな」の表情が本当に天才でした。ネバエンは振り付けがベリーキュート。後でみんみ先生が振り付け師だと聞いて納得しました。後ろのスクリーンに映し出されたクラップの文字に合わせてジャンプする7人を一生愛でたい。

スピ恋のふわっと広がるダンスが本当に好きで仕方なかったから、あの動きを見れただけでも(大袈裟だけど)入ることができてよかったなと。ターコイズブルーに溶けるみんなの姿がちょうど見れなかったので、配信を楽しみにしてる。

もう終わりなんだろうな、と気づいてしまったギミラ。あのイントロ中毒性ないですか?聞いた瞬間にきた!ってまたまた連番者と顔を見合わせた。ずっと見たかった口ハートもHeyに合わせるジャンプも本当に楽しかった。

かす夢も念願だった1曲だったから、聞けて嬉しかったな。アルバムのスペイべでやったと聞いて羨ましくて羨ましくて。光咲さんの最後の「ありがとう」にグッときて、本編が終了した。

 

ここからアンコールの拍手タイム。正直、もう出てこないんじゃないかと思うくらい手を叩いたら、グッズTを着た7人が現れた。それぞれアレンジしていて、オタク心をくすぐる仕様。同じアレンジにしたくなっちゃうじゃん!

ジュトゥブは空人さんが「おいで」って長野さんを抱えたことだけ、覚えている。逆にそれ以外のことを全部忘れてしまうくらい、その瞬間が可愛くてたまらなくて、ちょっと腰が抜けた。そして2度目のネバエン。幸せな気持ちを沢山ありがとう。切ない歌詞にポップな曲調が、ライブ終わりの気持ちを的確に表しているような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

げんじぶに出会ったのは約15ヶ月前。リリイベ真っ最中だったけれど、次の機会に行こう!と思っているうちに、コロナ禍へ。好きになって1年以上経っても、生のパフォーマンスを見れずモヤモヤとしていた最中に舞い込んだ知らせにワクワクしながら申し込みをした。

当選は本当に嬉しかったけれど、私よりもずっとずっと前から応援していた人が落選し、とても喜べるTLではなかった。他界隈でデビュー前から好きだったグループがどんどん人気になり、チケットが取れない無情な世界を経験しているので、こんな新規の、しかも掛け持ちをしている私が行ってもいいのか、すごくすごく戸惑った。躊躇った。

 でも、本当に自分勝手だけど、行くことができてよかったなと思った。私も改めて彼らをちゃんと好きでいたい、胸を張ってファンだと言いたいと思った。

 

 

最後の挨拶のもくちゃんの言葉。自粛期間中、7人の向いている方向がもしかしたら同じではないのかもって感じたこともあったよ。突然なくなってしまった日常に、モチベーションが保てなくなったのかもしれない。将来のことも心配になっただろうし、他にやりたいことを見つけたかもしれない。それでも、あの瞬間は7人でやっていきたい、げんじぶが好きだと思ってステージに立ってくれて、それを伝えてくれたことが本当に嬉しかった。みんなで手をつないで、マイクを置いて挨拶してくれた姿、ずっと忘れない。

ステージに立つ姿、終わった後のブログ、インスタ、動画を見て、「もうきっと大丈夫」そう思った。新たな1ページを刻んだ原因は自分にある。とこれからも夢の舞台に立つ日まで。

やりたいことが、ない。

やりたいことがない。

この気怠さというか、もやもやというか、何かしたいけれど、やりたいことがないという気持ちを抱えてもうすぐ1年が経つ。

社会人になったことが原因なのか、はたまたコロナ禍が原因なのか、わからないけれど、たぶんいろんなことが重なって、無気力になってしまった。

 

今まではわかりやすい目標があった。テストで満点を取りたい。志望校に入りたい。いい会社に入りたい。でも、会社に入った途端そんなわかりやすい目標が、私の中でなくなった。会社に入ることはゴールではないのに、今までの集大成のような気持ちになった。「先輩に褒められたい」「成果を出したい」なんて些細な欲はあっても、前のような純粋でわかりやすい目標ではない。定量的ではない。漠然としていて、かつちょっとした充足感を得るためだけの、小さな目標。

 

そんな気持ちで仕事をしているからか、プライベートでもしたいことがない。だらだらとTikTokTverYouTubeを見ているうちに休みが過ぎる。何かをしたくて窓から外を眺めるけれど、ふらふらと出掛ける気分にもなれない。

 

どうしたらいいんだろう。

 

何もせずだらだらと過ごした日曜日の夜はどんよりとする。何をしていたかも思い出せないような過ごし方をしてしまった自分のことが嫌になる。そしてまた月曜日が始まる。

 

だから、私はブログを始めた。「意味のあることを書こう」なんて気負わずに、書きたいことを書こう。「何かをやった」と思うためだけにやろう。

続けるということ。

「ブログを書きたい」そう思いながら数年が経った。いざ始めても、なかなか続かない。文章を書くことは好きだけれど、人に見せるとなると、納得がいくような文章が書けない、と書く手が止まってしまう。

 

思えば私は昔から何も続いたことがない。習い事はもって数年。自分から辞めたいと言い出したこともあれば、引っ越しを機に続けなくなったものもある。部活やサークルも中学、高校、大学の決まった期間が終わった途端に離れた。

そんな私が続いている唯一のことが「ファン活動」だ。活動だなんて大それたことはしていなけれど、こんな飽き性の私がずっと好きでいられている、そのことがちょっと誇りでもある。

 

きっと今回もそんなに続かないかもしれない。でも、私の思ったことや感じたことが誰かに共感してもらえたらいいな、なんてことを期待しながら、始めたいと思う。